僕達は一日の中でいろんな出来事や人のことについて、無意識にですがジャッジしています。
自分の目の前で起こったことについて「良い」とか「悪い」とか、「カッコ悪い」とか「カッコイイ」とか勝手にいろいろ考えるわけです。
例えば、今朝あったコンビニの店員が無愛想だった場合、あの店員は接客の態度がなっていないとジャッジするかもしれません。
レストランで注文した料理がいつまでたっても運ばれなかった場合、ここの店員は仕事が遅いとジャッジするかもしれません。
こういうことって日常的によくある事なんだけれど、僕達はひとつひとつの事について「良い」だの「悪い」だの考えてしまう。
それで自分が得をするかといえばそうではなくて、多くの場合はイライラしたりするんだよね。
けれど、コンビニの店員が無愛想だったのは理不尽な客に怒られて不機嫌だったからかもしれませんし、レストランで料理が運ばれるのが遅かったのは忙しかったからかもしれません。
そうとは知らずに目の前に起きていることを気にしすぎて、自分の価値観に照らし合わせて「良い」だの「悪い」だの考えてもストレスが溜まるだけ。
考えるだけ時間の無駄だし、無駄なことしてイライラするなんて勿体ないと思いませんか?
僕達は、あの人のやっていることは間違っているとか、この人のやっていることはカッコ悪いとか、人のことについてアレコレとジャッジしがちです。
けれど、他人がどんなふうに生きようと、どんなことを大切にしようと、その人が自由に決めていいことなんだよね。
あなたが、他人をジャッジするということは、相手を自分の価値観に照らし合わせて「否定」してしまっているということ。
あなたが「正しい」と思うことが、他の人も「正しい」と思うとは限らないんだよね。
どっちが「正しい」とか「間違っている」という話ではなくて、それぞれが違う価値観を持っているってことなんだ。
あなたは、自分がやりたいことや生き方を自由に決めてもいいし、他の誰かの価値観に合わせなくてもいい。
何が好きで、何が楽しくて、どんな人と一緒にいたくて、どんなことがしたいのか、全部自分で決めてもいいんだ。
それは他の人も同じで、何が好きで、何が楽しくて、どんな人と一緒にいたくて、どんなことがしたいのかはその人が決めることなんだ。
あんなことしたらダメなのにとか、こうした方がいいのにとか、他人のことをイライラしながら見てもストレスが溜まるだけだよ。
「そういう意見があるんだな」「そんな考え方もあるんだな」って思えばいい。
そのうえで他人の意見を参考にするのも、私には合わないと思うのも、どちらも自分で選んでいいんだ。
何かの出来事や他人のことをジャッジして、嫌いになったりするのは勿体ないことだと思うのです。
だって、嫌いなものって認めることが難しいじゃなですか。
何かを嫌いだって否定することは、そのまま嫌いなことを選択しないという「縛り」になるし、自分の人生の選択肢を狭めることになってしまう。
「そういう考え方もあるのか」「こういう人もいるのか」と考えて、ジャッジしないようにしよう。
無意識にやっていることだから、ついついやってしまうこともあると思います。
けれど、「またやってしまった」と自分を責めたりせずに、自分のことを許してあげよう。
ジャッジをしないことは自分が楽に生きるための1つの方法であって、しなければいけない事ではないのです。
人のことを「良い」「悪い」ジャッジしてしまう人は、こちらの記事も参考になるかもしれません。
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