僕達は他人の言葉を素直に受け取れないときがありますよね。
例えば、自分の容姿に自信がないときに「綺麗になったね」「カッコ良くなったね」と言われてもお世辞にしか聞こえないでしょうし、不満や罪悪感ががある立場を「羨ましい」と言われても嫌味にしか聞こえないかもしれません。
だからでしょうか?
まるで、騙されないぞとでも言うかのように相手の言葉を素直に受け取らず、自分のフィルターを通して現実を見ようとしてしまう。
嫌味と受け取った言葉は自分の想像でしかないのに、きっと嫌味で言っているのだろうと考えてしまうんだよね。
けれど、お世辞に聞こえた言葉も、嫌味にしか受け取れなかった言葉も、本当に自分を傷つける意図があった言葉だったのでしょうか?
僕達は他人の頭の中を知ることは出来ませんから、相手がどんなことを考えているんだろうと色々と想像しますよね?
相手がソワソワしているように見えたら、私と話してもつまらないと思っているのかもと不安になったり、素っ気ない態度をとられて何か悪いことしたかなと想像したりする。
けれど、現実はトイレに行きたいのを我慢してソワソワしているだけかもしれないし、たまたま嫌なことがあって不機嫌だっただけかもしれないんですよね。
人を傷つけないようにしようとか、迷惑かけないようにしようと考えることは悪いことではないんだけれど、想像の中での相手の気持ちに自分が振り回されてしまうのは避けたいと思いませんか?
僕達は、無意識に他人の考えも自分の考えも同じであると錯覚するところがあるんです。
例えば、顔にホクロがあることにコンプレックスを感じていたら、ホクロのある人を見たら自分と同じようにあの人も辛いんだなと思ったり、ひとりでいることを寂しいと思っていたら、同じようにひとりの人を見つけてホッとしたり、同じように寂しいと思っているんだろうと考える。
けれど、人それぞれ価値観が違う様に、同じ条件であっても感じ方が違ったり考え方に違いがあったりするんだ。
顔にあるホクロを気にしていない人もいれば、ひとりでいることにホッとする人もいるんだよね。
相手の言葉を「嫌味かな?」と疑った目で見ているときは、自分で自分を受け入れていないときかもしれません。
興味のない仕事を無理して頑張っているのに、他人から「羨ましい」と言われたら嫌味に聞こえる人もいるでしょう。
あなたの方がよっぽど羨ましい環境なんですけどと思うこともあるかもしれません。
けれど、好きで楽しくやっていることなら、「羨ましい」と言われても嫌味とは捉えないはずです。
「そうでしょう」と誇らしく思ったり、まんざらでもない気持ちになるのではないでしょうか?
だから、自分のことを受け入れたり、自分のやりたいことをするって大切なことなんですよね。
他人の言葉を素直に受け取れないときは、自分を受け入れていなかったり我慢しているところだと考えよう。
完璧な人なんていないのだからダメだと感じるところもあるでしょうし、人生には我慢が必要なときもあるでしょう。
けれど、それを理由に自分を嫌ったり我慢ばかりしていたら自分が可愛そうだよ。
そうではなくて、自分を助けるために出来ることから始めてみよう。
あなたは、もっと自分に優しくなってもいいし、自分を好きになってもいいと思うんだ。
他人の言葉を素直に受け取れないときは、こちらの記事も参考になるかもしれません。
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