僕達は、大切な人から大事にされていない、大切にされていないと感じることがあったら「私は、愛されていないんだ」と思いますよね。
大切な日なのに気付いてくれなかったり、厳しいことばかり言われたり、期待したような配慮がなくてガッカリしたりして、大事にしてくれないのは「私が、愛されていないからなんだ」と思ってしまう。
あるいは、自分のような人間が人に愛されていい筈がないとさえ思う人もいるかもしれません。
どんな人でも愛されていないと思ったら、自分一人だけで生きていかなくてはいけないように感じて心細い気持ちになったり、誰にも頼れないと思って一人で抱え込んだり、いっそのこと別れてしまったほうがいいんじゃないかと、辛い悩みで頭がぐちゃぐちゃになってしまう人もいるでしょう。
けれど、本当にあなたは愛されていないんでしょうか?
本当は愛されているのに、愛されていないと勘違いしているんじゃないでしょうか?
あなたが愛されていないと感じるのは、自分自身のことを人に愛される価値ある人間として扱っていないからかもしれません。
もちろん、愛されていないと感じる人があなたを大切に扱うかどうかは相手が決めることですよ。
けれど、相手の愛をどう受け取るかは自分がどう感じたかで決まるから、自分に対するイメージ次第で受け取り方が変わってくるんですね。
例えば、自分の背が低いことを気にしている人が、他人に「かわいい」と言われてもバカにされているようにしか受け取れないように、他意のない何となくの感想でも受け取り方によっては傷ついたりもするんだよね。
こういう時に、自分が傷つけられたと思って相手に怒鳴ったりしたら、怒鳴られた相手は何故怒られたのかわからずに混乱することでしょう。
あるいは、怒鳴らないにしても相手に不機嫌な態度を繰り返せば、私は嫌われているんだと思って離れてしまうこともあるかもしれません。
本当は悪意なんてないのに、誰も悪くないのに、気持ちの擦れ違いがおこってしまうんだよね。
自分は誰にも愛されていないと思えば、好きだと言ってくれる人がいても素直に信じられないこともあるでしょうし、自分の容姿に自信がない人が他人に綺麗だねと言われてもお世辞にしか聞こえないでしょう。
僕達は、他人の言葉をそのままの意味で受け取っていると思いがちだけど、本当は自分の価値観や考え方のフィルターを通して判断しているんだ。
だから、他人から愛されているという実感を得るためには、自分で自分のことを好きになってあげることって大切なことなんですよ。
自分のことを雑に扱ったり嫌いになったりしないで、どんな自分であっても、自分のことを受け入れて好きになろう。
自分は愛されていないという考え方は、相手の愛情を素直に受け取りにくくする考え方です。
愛情の表現方法なんて人それぞれなんだから、足りないと思ったからとか、気付いてくれなかったからとか、いろんな憶測や想像で相手を嫌いになったりしないで、自分が本当に相手に愛されていないか客観的に見てみよう。
物事は見方によっては良く見えたり悪く見えたりするものだから、愛されていないって決めつけたりしないで、私はこう思って「愛されていない」と感じたと伝えてみよう。
そういうときって、相手にビックリされて「そんなつもりはなかった」って言われることの方が多いんですよ。
あれこれ口出しすることも愛情表現だし、黙って話を聞いてあげることも愛情表現だし、体全身を使って大袈裟に表現するのも愛情なんだ。
人によって表現の仕方が違うだけなのに、それじゃ愛されていないって思っただけなんだよ。
だから、アレコレ想像して不安にばかりなったりしないで、自分は愛されているんだと信じよう。
大丈夫。あなたは愛されているから。