人に酷いことを言われたときの対処法

僕達は、誰かに酷いこと言われたり酷い態度をとられて深く傷ついてしまうことがありますよね。

人を小馬鹿にするような酷い扱いを受けたり、厳しい口調で人格否定をされるような酷い言葉を浴びせられることもあったかもしれません。

自分が気にしていることをズケズケと言われて傷ついてしまったこともあるでしょう。

こういうときって、不快な気持ちを態度で表わしたり傷つけられた怒りを相手にぶつけてしまうと、相手に嫌われてしまうんじゃないかと恐れたり、周囲のひんしゅくをかったりするんじゃないかと不安に思って我慢しがちですよね。

「傷つけられた!」という思いは、マグマのように相手への怒りとなって心に溜まっていき、その気持ちを抑えこむことに必死になることもあるかもしれません。

いつか仕返しをしてやろうと、反撃の機会を心に秘めてしまうこともあるでしょう。

あるいは、相手の言葉を真に受けてしまい、自分のことを「ダメな人間だ」「情けない人間だ」と自分を責めてしまうこともあるかもしれません。

誰だって人に酷いことを言われたら傷ついてしまうし、相手の言葉を受け流すことが出来ずに繰り返し思い出しては、辛い気持ちになることだってありますよね。

世の中には、無神経な態度をとる人や意地の悪い言葉を浴びせる人が残念ながらいるものです。

けれど、「傷つけられた」「許せない」と繰り返し考えていては心穏やかに日常を過ごすことは出来ません。

あなたを傷つけるキッカケを作ったのは相手かもしれませんが、心の傷口を広げているのは、もしかすると自分自身なのかもしれませんよ。

他人に言われたことに執着しない

誰だって、他人に酷いことを言われたら心が傷ついてしまうものですよね。

普段から気に病んでいることを遠慮なくズケズケと言われてしまったり、「こうじゃないといけない」と自分とは違う価値観を押し付けられたりして不機嫌な気持ちになることもあるでしょう。

こういうときって、治りかけのかさぶたを痒いからと何度もかいたりさわったりして状態を悪化させてしまうように、「辛かった!」と繰り返し繰り返し思い出しては辛い過去を思い出して嫌な気持ちになったりするんだよね。

さっさと忘れてしまった方が嫌な気持ちから解放されるとわかっているのに、何度も繰り返し思い出しては嫌な気持ちになって「なかなか気持ちを切り替えられない」なんて思ったりする。

ですが、酷いことを言われたときのことを繰り返し思い出しても辛い思いをするのは自分ですから、気持ちを切り替えることって大切なことなんだ。

楽しい気持ちが永遠に続くことがないように、辛いことがあっても気持ちを切り替えていけば、時と共に辛い気持ちが和らいでいきます。

酷いことを言われて傷ついたことに執着していては、気持ちを切り替えることが難しくなってしまうから、他人に酷いことを言われたら、「あなたはそう思ったんだね」と受け流してしまおう。

酷いことを言う相手の言葉を真に受けなくたっていいんだ。

酷いことを言う人の考えにあわせなくてもいい

世の中には、傷ついてしまうような言葉を言う人がいるものです。

彼(彼女)は、あなたを傷つけようとしているのではありません。

あなたのやっていることは、自分の価値観や考えとは違いますから直してくださいと言っているんだよね。

けれど、10人いれば10通りの考え方や価値観がありますから、あなたとは違った価値観や考え方をする人に全部あわせようとしてていたら、体がいくつあっても足りません。

皆にあわせて生きることは自分を傷つけないようにする一つの方法かもしれませんが、相手の考えや言葉に振り回されてしまうデメリットもあるんだ。

だから、誰にも嫌われないように良い人でいることって苦しい生き方なんだよね。

誰だって他人に悪口なんて言われたくないし、嫌な気持ちになんてなりたくないでしょう。

けれど、酷いことを言われたり思われたからといって、怪我をさせられたわけでも、お金を取られたわけでもありません。

あなたの価値が下がるわけでも、本当に酷い人になるわけでもないんだ。

ただ、他人がどう思ったかというだけの話で、 「私の何がいけなかったのかな?」と他人の感想を真に受ける必要なんてないんだよね。

あなたは、今のままでも十分に魅力的な人間です。

足りないところがあっても、失敗した過去があっても、ズボラなところがあっても、それでも魅力的な人間なんだ。

もしも、あなたが何でも出来てしまうような完璧な人間だったなら、出来なかったことが少しずつ出来るようになる楽しみを知ることはなかったかもしれないし、隙がないような近づきがたい人間だったかもしれません。

人に愛されることと、何でもキチンと出来てしまうことはイコールじゃないから、他人に酷いことを言われたからといって、自分に足りないところを探さなくたっていいんだ。

人の言葉を悪いように捉えてしまうこともある

どんな人にも、人に言われて傷つく言葉というのがありますよね。

例えば、「えっ、そんなことも知らないの?」「○○さんは、部長になるんですってね」「○○さんって結婚するらしいよ」と人に言われて、「そんなこと私に言わなくてもいいのに」とか「煽られている」と思って傷ついたり、怒りが湧いたりする。

そんなとき僕達は、「酷いことを言われた!」「嫌な奴だ!」と思って人の言葉を悪いように受け取ったりするんだよね。

何気なく言ったことでも人によって言葉の重みは違うから、「ふ~ん」と聞き流せる人もいれば、「なんだと!」と怒り出すこともある。

だから、人に悪口ばかり言われるとか人間関係が上手くいかないことが多いと悩んでいる人は、相手が何気なく言った言葉を悪いように変換しているかもしれないと、自分のことを客観的に見ることって大切なことなんですよ。

あなたのことを考えているからこそ出てくる言葉というのもあるでしょう。

誰だって、勉強しないといけないなと思っているときに「早く勉強しなさい!」「将来どうなっても知らないわよ!」と言われたら「今からやろうと思っていたのに…」と怒りが湧いてくることもあるでしょうし、年頃になってそろそろ結婚も考えないとな思っているときに、「いつまで実家にいるつもりなの?」と言われたり、「そろそろ実を固めなさい」と急かされたら気持ちがなえることもあるでしょう。

こういうときって、あなたを傷つけようとしているわけではなくて「将来どうなるだろう?」「このままでいいのだろうか?」と不安な気持ちをぶつけてしまっているだけなんですね。

愛しているからこそ「言わなきゃ」と思うことだったり、心配しているからこそ出てくる言葉もあるんだ。

批判されると嫌がらせを受けているように感じがちですが、愛の表現っていろいろあるんだよね。

悪口ばかり言われる、文句ばかり言われると思っていたけど、本当は愛されていたり、心配されているだけだったってこと、結構あるんですよ。

僕達は、自分が被害者の気持ちになっていると人の言葉を悪いように捉えがちだけれど、冷静になったときに客観的に見ると本当は愛されていたんだと気付くことってたくさんあるんだ。

だから、人に悪口ばかり言われると思ったら、自分が人の言葉を悪いように変換していないか自分のことを客観的に見てみよう。

あなたが傷ついたと思った言葉は、あなたを傷つけようと思って出てきた言葉じゃないかもしれません。

会話の種に何気なく言った言葉だったり、愛しているからこそ出てくる言葉だってあるんだ。

あなたは、人の言葉を悪いように受け取っていませんか?

そんなに自分のことを守ろうとしなくても、あなたは既に安全な場所にいるのかもしれませんよ?

誰も傷つけようなんて思ってもいないのに、傷つくことがあったと感じただけかもしれないんだ。

おわりに

フジモフは、誰とでも仲良くしようとする必要はないと思うのです。

みんなと仲良くしようとしても、相手がその気持ちを汲んでくれるとは限りません。

どんなに良いことをしても「良い子ぶって気に入らない」と言われて嫌わることもあるのですから、誰からも嫌われない人なんていないんだ。

そういう意味では、誰かに酷いことを言われたり、嫌われたりするのは、誰にでもある普通のことなのかもしれません。

そうでありながら、誰からも嫌われたくないと良い人であろうとするのは、他人に振り回されてしまう辛い生き方になってしまうのではないでしょうか?

他人に言われた酷い言葉を真に受けないで、「人は人自分は自分」と考えて他人の言葉に振り回されないようにしよう。

誰からも好かれるような自分じゃなくてもいい。

自分を大事にしてくれる人を大切にしていけばいいんだ。

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